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占領した、撃破した、撃滅した、この一言ごとに壮絶な戦いがあったんだろうな...
家内の父親がビルマへ陸軍准尉で出兵しておりました、計算能力に長けていたため、自分の部隊は直接持たず、榴弾砲の座標計算に従事していたそうです、当時の事はあまり多くは語りませんでしたが、戦友会の方達の協力の元、当時の作戦や出来事などを分厚い本を制作されております、電話帳くらいの厚みで10巻くらい有ります、義父は15年前に亡くなりましたが、本は大切に保管しております、時間が出来たら読ませてもらい、貴重な資料になりそうなら、いずれは寄付も考えております、因みに鉄兜と水筒も保管しております、鉄兜のライナーと水筒のコルク製の栓は朽ち果ててしまっております。
本のタイトルが気になります…
その本を是非拝読させて頂きたいです。
タイトルが知りたい
個人で10巻も編纂したのはすごいですね。貴重な資料です。図書館や歴史資料館に寄贈か寄託される方法がありますね
見るからに貴重な資料でしょうね。そこまで詳細に記した民間の資料はかなり珍しいでしょう。私からは少し遠いのですが曾祖父の弟が終戦の数か月前にビルマで戦死しているので興味ありますね。
祖父が56師団に所属しており、子供の頃にたくさん話をしてくれました。・ビルマに行ったこと・雲南省に行ったこと・火の海(川?)を渡ったこと・食べるものがなく猿を食べたこと・隣にいた友人が目の前で撃たれたこと・自身も撃たれ野戦病院に運ばれたこと・同室の人が将棋の棋士でずっと将棋を打っていたこと…など、祖父が亡くなり10年以上経ち忘れてしまっていましたが、この動画を拝見し他にもいろいろと思い出しました。祖父との会話の記憶を思い出させていただきありがとうございます。出来るだけ忘れないよう、書いておこうと思います!
「ビルマ派遣軍の歌」は日本陸軍に数ある「~軍の歌」の中でも屈指の名曲だと思う。ビルマ戦線は64戦隊など航空部隊の奮闘もあり、空に目を向けがちだったので地上戦の詳細解説とてもありがたいです。
何度か、56師団について「画面左側の・・・」と言ってる箇所がありますが、東側 のミスタイプです 画面の左右で言うとガッツリ右側です
ちゃんと視聴してたらわかる事だからええんやで~
日本軍、頑張れと声が出そうになった。
ジィちゃんが鉄道敷設の為ビルマに従軍してました。ジャングルでは夜は木の上で眠っていたその下を虎が通っていき怖かったやカタツムリがとても大きかった等母から話は聞きました、祖父もビルマでマラリヤに感染し戦後も完治しておらず発熱するとガタガタ震え祖母が布団の上から抑えないとダメな程だったとも話してました。自分が小さい時に亡くなっているので記憶がないし話を聞く機会が無かったのが残念です
お久しぶりです。待ってました。❤️無理しないで更新して下さいね
たしかにマレーに比べてビルマは気が付いたら占領していたイメージだね。
「真珠湾とマレー」って感じだからねぇビルマが知られてないのはまぁ仕方がない
このチャンネルの良いところは参考文献をしっかり出している点他のゆっくりより信用できる。
ビルマ戦線後期、しかもインパール作戦後のイラワジ会戦とかの戦線崩壊期にビルマ戦線全期間の戦死者の半分以上が発生しているのに。そのへんの描写や責任やイメージが全部インパール作戦みたいに語られてることも多いよね。
かの悪名高いインパールも終わりの始まりでしかないって言う…
イラワジ会戦なんて全く不思議な戦いで面白いし分析する価値が高いとおものですよ。インパールの後て装備 人員ともに大幅な劣勢で、戦力は定数の50%以下で制空権を取られて、しかも戦略的奇襲をくらったビルマ方面軍と連合軍のキルレートがほぼ互角とかわけわからん!同時期の断作戦や盤作戦で中国相手のレートもあるせいでしょうが。そのあとのシッッタン作戦はまあ悲惨の一言ですが!
@@岡本博志-o3x イラワジ会戦に関してはビルマ戦時に第215連隊に所属していた磯部卓男大尉が「寸分の合理性も認められない」と批判していましたね。他にも第18師団長の中中将など他の将校からも批判がありました。インパール作戦よりも犠牲者は少ないとはいえ無謀度に関してはインパール作戦に勝ると思っているので、自分もなぜこの会戦と会戦を実質的に主導した田中新一参謀長があまり話題にされないのか不思議に思っています。
@@太郎冠者-p9d さん 知っているかもしれませんが「陸戦史学会編 イラワジ会戦」によると「マンダレーはビルマの民心分岐点」ということでここを取られたらビルマが寝返るとみて政治的に攻勢を取れる姿勢を見せたかったようです。私も純軍事的には悪手以外の何物でもないと思ってます。どう考えてもイラワジ川で防衛線を築くか、多勢無勢で分断され大ピンチの菊と龍兵団救出に手を貸すか、防衛線を大きく下げて方面軍全体の負担を減らすとかそういうのが常識的な手段だと思います。おそらく問題にされないのはこの後の木村司令官着任とほぼ同時に方面軍司令部逃亡事件が起きてこいつのインパクトが強すぎてみんな田中中将のことをスルーしてしまうんだと思います。
@@岡本博志-o3x 実は田中新一中将は件のビルマ方面軍司令部ラングーン放棄事件でも失態を犯しているんですよね。そもそもなぜビルマ方面軍司令部がラングーンを放棄したかというとラングーンは連日の連合軍による爆撃により都市機能が壊滅しており到底立て籠もって戦える状態になく、さらに補給の便も悪い上にイギリス軍に有利な平地でした。そこで木村方面軍司令官はラングーンを放棄し、補給が受けやすい上に泰緬鉄道の防衛がしやすいテナセリウム地区(南東ビルマ)に今残っている兵力を移動させ、方面軍司令部はモーメルンに後退するという理に適った戦略を思いつき実行に移したからなのです。木村方面軍司令官は4月20日からラングーン放棄の準備を進めていたのですが、田中参謀長はラングーンでの決戦を考えており、ラングーン放棄には反対でした。そのため、木村方面軍司令官が作成したラングーン撤退命令を配下の部隊へ交付することを遅らせ、本来は整然と行われるはずであったラングーン放棄を混沌としたものにしてしまいました。ラングーン放棄の混乱は田中参謀長だけの責任ではありませんが、非現実的な思考で木村方面軍司令官を補佐することをせず、いたずらに混乱させたことには非常に大きな責任があると思います。ちなみに参考文献はルイス・アレン氏の「シッタン河脱出作戦」です。
めっちゃ待ってました!
ビルマ戦線を初めて知ったのは、小学校低学年の頃(昭和53=1978)に図書室にあった「ビルマ大ジャングル戦」と言う本でした。いま手元には、小学生当時に読んで30年ほど前にまた読みたくなって地元の古書店で手に入れたあかね書房版(昭和45年)と10年ほど前に神保町の古本市で手に入れた鱒書房版(昭和31年)の2冊があります。両方とも著者は秋永芳郎氏ですが、鱒書房版は服部卓四郎氏の監修が入っています。
56師団強すぎィ!
貴重なビルマ戦線の動画拝見致しました。ありがとうございます。チャンネル登録させて頂きました。
「日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある」 A・トインビー
なお、開戦はガバガバではじめた模様()
他のアジアがあまり頼りにならないと言う点は、なかなか大変だ。
@@lookglacial6325 彼らが戦っていれば(特に清朝)日本が戦う必要はなかった
当然のように忘れ去られる1942年に独立予定だったフィリピンさん…
@@usejehwikuhehejidjcuruehje あれ日本軍進攻前にアメリカが決定していたフィリピンの独立予定年は1946年のはずでは?
英語表記するとブルマであるが、なぜかビルマである。ブルマ電撃作戦だと…なんか違う企画ものを想像してしまうよなあ。
ソ連軍の作戦術みたい。33D,55D,56Dが、各正面で連続作戦を実施しつつ、互いの戦線を支援しあってる
小説『ビルマの竪琴』の背景にはこうした苛烈な戦いがあったのですねぇ・・。ところで、英軍・英印軍とされてますが、英軍と表記した場合は、本国からの正規英国人兵による部隊。英印軍と表記のあるのはインド植民地兵を基幹とする英国人将校に指揮された部隊。そう解釈して良いですかね?後のインパール戦でも敵手は必ずしも英国人ではなく、多くのインド人将兵が居たようで、日本軍と協働したチャンドラ・ボース率いるインド自由軍のインド兵とで、同胞相討つ形になった様ですが、日本の戦記にはその辺殆ど書かれてないんですよね。今後、その辺りも掘り下げて頂けると嬉しいです。
え、新社会人って事はこちらの投稿主さんも(元)学生だった……!?
フーコン方面守備してた18師 ラモウ守備隊の56師は地元の誇り
見入りました。
お疲れ様です。無理せず動画投稿お願いします。
後の物質補給の事考えると、かなり遠くまで戦争をしに行ってますね。
待ってました
連合軍側の車両化率が高かったものの想定よりずっと日本軍の進撃スピードが早かったために連合軍側の作戦が失敗したまた、包囲作戦を立案して成功に収めていることから地形や街道の情報把握もしっかり行われていたことがわかるあと、熱帯の病気コワイ😱日本軍以外にもマラリアによる死者は出ていたんですね
やっぱ、イギリス軍は撤退うまいんかな...負けてはいるけど、致命的には負けてないし…
「British Commanders of World War II」では初期ビルマ戦にて敗退中のイギリス軍を指揮したサー・ハロルド・アレクサンダー将軍について優勢な日本軍に対してラングーンの保持の決定など多くの誤った決断をしたとして批判しているので、ビルマ戦に関して言えば撤退はあまり上手く無かったと思います。
オープニングのBGMタイトルを教えて下さい。
将来の再構成してのアップの時、二部構成にして濃い~いものにしたら楽しいね。
まってた!
ビルマと言えば”インパール”と”泰緬鉄道” 泰緬鉄道の建設に伴う捕虜虐待で木村兵太郎大将がA級戦犯となり絞首刑に処された。もし米英を相手とせずイギリス軍だけ戦ったらワンチャン勝てたかも(インドかオーストラリアのどちらか攻略したらチャーチルは退陣せざるを得ない)
木村大将は、東京裁判にてビルマ方面軍時代の捕虜虐待を批判されていましたが、それ自体は処刑理由ではありません。開戦時に陸軍次官を務めていたことが処刑理由のはずです。 ちなみに、木村大将の泰緬鉄道建設に伴う捕虜虐待は、インパール作戦以来の敗北によりただでさえ人員が減少しているのに対して、南方軍が人員もろくに追加せずに(追加の人員や物資はフィリピン方面に移送された)過大な要求を送ってきており、それを達成するために連合軍捕虜を使役せざるをえなかった側面が大きいので、本来は木村大将より南方軍の責任が大きいです。
菊兵団!?
戦車こそないものの、これぞ電撃戦なのではと思う。航空支援もなかったようですが。
あれ チャーチル見てるかぁ?w が無かった・・・
新社会人。。。。そんなに若いのか。内容より、そっちにびっくりした。俺が戦史研究をした時にまだ生まれてないじゃないか。
19:30 辺りからの曲は何という名前でしょうか。
雲にそびゆる です
@@ms08p34 有難うございます。
日本軍の冒険
うぽつ
タイ・ラオス・ビルマの3カ国の国境地帯。
こうみると割と日本軍って善戦してるよな。兵器の質はそりゃ連合軍の方が上だけど士気が高いよな。
ミャンマーの山岳部には首狩りなんかをやっていた原住民がいたと思うのですが、日英両軍は彼らと交流があったりするのですかね?
うう、海軍はアメリカ相手でそれどころじゃなかったんですかね。地形を見ると、これ海から砲撃上陸しかないんじゃね?と思わせる感じですよね。
ビルマはインパールをしなかったら中国戦線の様に日本軍優位で終わったのかな?
防御に不利な地形故にラングーン失陥が早いか遅いかの違いだけかも…
元々、南進策はインド洋で決戦してイギリスを戦争から脱落させる戦略だったが海軍が東に突進して頓挫した。
新社会人頑張ってください!
これを見るとインパール作戦の無茶もわからんでもないよなあ。こういうのを再びやれると思ったのだろう。もはや状況が全然違ったわけだが。
ミャンマー
大日本帝国万歳
ピンマナ=ネピドーラングーン=ヤンゴン現代人には、わかりにくい
4:57
日本陸軍はこの時は間違いなく「精強無比」だった。コレは間違いない。しかし疑問がある。鹵獲した自動車はザっと1000両を超えるけど、この当時の陸軍歩兵は8万人の中で1000人も自動車運転できる者が居たんだろうか?
まぁ現地教習したんじゃない‥
いたと思うよ。捕虜から聞き出す事も可能だしね。
この当時の日本では、自動車運転出来るのが「特殊技能者」だったのが分かるコメントです。
水島しか知らない
みんな何でそんな身内の戦果とかに詳しいんだよ俺は知らんわじいちゃんは物心つく前に旅に出たしまぁ聞いた話によれば俺をたいそうみぞがってくれたらしいけどわからんわそんなものわからんわ父親はまぁ幼児だったけど大戦末の空襲の記憶があるって言ってたなぁたしか兵隊さんの鞄と帽子と飯盒となんだっけそれ使ってたって言ってたけどそんななるんかなぁうーん小学校入学時に使ってたのなら戦後数年だからまぁおかしくはないか戦後10年とか経つんならなぜ未だに軍式装備をお下がりにしてるのってなるが家にはじいちゃんの銃が持ち帰られて国に取り上げられたって言ってたっけなぁたしか刀狩りだよねぇじいちゃんの戦記は聞けなかったしそればあちゃんにも親にもじいちゃんの出兵先とか聞かんかったしよくわからんなぁたしか泥すすってとか聞いたような気がするからどっか海外やろ地方により行き先とか絞れるのかな出身地域滞在地域により終結場所と出向先は絞れるのかな?ならあーでも知覧の話も聞いたようなでもじいちゃんが関係してたかはわからんしなぁまぁ父ちゃんが生まれたのが真珠湾くらいの頃かなぁまぁまぁまぁ原爆にやられる地域ではなかったけどでも母親が戦後生まれで爆心地辺りで銀行員してたんだっけかまぁ戦後20年とか経ってるだろうから被爆はないよね?なら血液の病気になって吐血してたって聞いたけど被爆は関係ないよねぇ?もっと親の生い立ちとか戦争の話をばあちゃんにも親にも聞いときゃよかったなぁ親も直は覚えてないわからんにしてもじいちゃんの話を聞いたかも知れんし
チャーチルはどんな顔してこの敗報を受けたのかなぁ。17年5月か。ミッドウェーで海軍があそこまでしくじらなければ、やっぱり大東亜戦争は勝てましたな。
ミッドウェーが落ちたところで戦争の行方は変わらんと思うよハワイやパナマ運河からの艦隊に日本軍が勝てると思えん、史実でも戦争中期にはあらゆる技術で差が出てたし
珊瑚海海戦前後から既に雲行きが怪しいので単純に海軍の能力不足ってだけじゃないですかね。
ミッドウェイよりソロモンで海空の戦力すり減らしたのが痛い。
総力戦研究所さん『ぐはぁ(白目)』
史実より長く抵抗出来ただろうけど、結局負けちゃうよ。工業力が違いすぎる。
占領した、撃破した、撃滅した、
この一言ごとに壮絶な戦いがあったんだろうな...
家内の父親がビルマへ陸軍准尉で出兵しておりました、計算能力に長けていたため、自分の部隊は直接持たず、榴弾砲の座標計算に従事していたそうです、当時の事はあまり多くは語りませんでしたが、戦友会の方達の協力の元、当時の作戦や出来事などを分厚い本を制作されております、電話帳くらいの厚みで10巻くらい有ります、義父は15年前に亡くなりましたが、本は大切に保管しております、時間が出来たら読ませてもらい、貴重な資料になりそうなら、いずれは寄付も考えております、因みに鉄兜と水筒も保管しております、鉄兜のライナーと水筒のコルク製の栓は朽ち果ててしまっております。
本のタイトルが気になります…
その本を是非拝読させて頂きたいです。
タイトルが知りたい
個人で10巻も編纂したのはすごいですね。貴重な資料です。図書館や歴史資料館に寄贈か寄託される方法がありますね
見るからに貴重な資料でしょうね。そこまで詳細に記した民間の資料はかなり珍しいでしょう。私からは少し遠いのですが曾祖父の弟が終戦の数か月前にビルマで戦死しているので興味ありますね。
祖父が56師団に所属しており、子供の頃にたくさん話をしてくれました。
・ビルマに行ったこと
・雲南省に行ったこと
・火の海(川?)を渡ったこと
・食べるものがなく猿を食べたこと
・隣にいた友人が目の前で撃たれたこと
・自身も撃たれ野戦病院に運ばれたこと
・同室の人が将棋の棋士でずっと将棋を打っていたこと
…
など、祖父が亡くなり10年以上経ち忘れてしまっていましたが、この動画を拝見し他にもいろいろと思い出しました。
祖父との会話の記憶を思い出させていただきありがとうございます。
出来るだけ忘れないよう、書いておこうと思います!
「ビルマ派遣軍の歌」は日本陸軍に数ある「~軍の歌」の中でも屈指の名曲だと思う。
ビルマ戦線は64戦隊など航空部隊の奮闘もあり、空に目を向けがちだったので地上戦の詳細解説とてもありがたいです。
何度か、56師団について「画面左側の・・・」と言ってる箇所がありますが、東側 のミスタイプです 画面の左右で言うとガッツリ右側です
ちゃんと視聴してたらわかる事だからええんやで~
日本軍、頑張れと声が出そうになった。
ジィちゃんが鉄道敷設の為ビルマに従軍してました。
ジャングルでは夜は木の上で眠っていたその下を虎が通っていき怖かったやカタツムリがとても大きかった等母から話は聞きました、祖父もビルマでマラリヤに感染し戦後も完治しておらず発熱するとガタガタ震え祖母が布団の上から抑えないとダメな程だったとも話してました。
自分が小さい時に亡くなっているので記憶がないし話を聞く機会が無かったのが残念です
お久しぶりです。待ってました。❤️
無理しないで更新して下さいね
たしかにマレーに比べてビルマは気が付いたら占領していたイメージだね。
「真珠湾とマレー」って感じだからねぇ
ビルマが知られてないのはまぁ仕方がない
このチャンネルの良いところは参考文献をしっかり出している点他のゆっくりより信用できる。
ビルマ戦線後期、しかもインパール作戦後のイラワジ会戦とかの戦線崩壊期にビルマ戦線全期間の戦死者の半分以上が発生しているのに。
そのへんの描写や責任やイメージが全部インパール作戦みたいに語られてることも多いよね。
かの悪名高いインパールも
終わりの始まりでしかないって言う…
イラワジ会戦なんて全く不思議な戦いで面白いし分析する価値が高いとおものですよ。インパールの後て装備 人員ともに大幅な劣勢で、戦力は定数の50%以下で制空権を取られて、しかも戦略的奇襲をくらったビルマ方面軍と連合軍のキルレートがほぼ互角とかわけわからん!同時期の断作戦や盤作戦で中国相手のレートもあるせいでしょうが。そのあとのシッッタン作戦はまあ悲惨の一言ですが!
@@岡本博志-o3x
イラワジ会戦に関してはビルマ戦時に第215連隊に所属していた磯部卓男大尉が「寸分の合理性も認められない」と批判していましたね。他にも第18師団長の中中将など他の将校からも批判がありました。インパール作戦よりも犠牲者は少ないとはいえ無謀度に関してはインパール作戦に勝ると思っているので、自分もなぜこの会戦と会戦を実質的に主導した田中新一参謀長があまり話題にされないのか不思議に思っています。
@@太郎冠者-p9d さん 知っているかもしれませんが「陸戦史学会編 イラワジ会戦」によると「マンダレーはビルマの民心分岐点」ということでここを取られたらビルマが寝返るとみて政治的に攻勢を取れる姿勢を見せたかったようです。私も純軍事的には悪手以外の何物でもないと思ってます。どう考えてもイラワジ川で防衛線を築くか、多勢無勢で分断され大ピンチの菊と龍兵団救出に手を貸すか、防衛線を大きく下げて方面軍全体の負担を減らすとかそういうのが常識的な手段だと思います。おそらく問題にされないのはこの後の木村司令官着任とほぼ同時に方面軍司令部逃亡事件が起きてこいつのインパクトが強すぎてみんな田中中将のことをスルーしてしまうんだと思います。
@@岡本博志-o3x
実は田中新一中将は件のビルマ方面軍司令部ラングーン放棄事件でも失態を犯しているんですよね。そもそもなぜビルマ方面軍司令部がラングーンを放棄したかというとラングーンは連日の連合軍による爆撃により都市機能が壊滅しており到底立て籠もって戦える状態になく、さらに補給の便も悪い上にイギリス軍に有利な平地でした。そこで木村方面軍司令官はラングーンを放棄し、補給が受けやすい上に泰緬鉄道の防衛がしやすいテナセリウム地区(南東ビルマ)に今残っている兵力を移動させ、方面軍司令部はモーメルンに後退するという理に適った戦略を思いつき実行に移したからなのです。木村方面軍司令官は4月20日からラングーン放棄の準備を進めていたのですが、田中参謀長はラングーンでの決戦を考えており、ラングーン放棄には反対でした。そのため、木村方面軍司令官が作成したラングーン撤退命令を配下の部隊へ交付することを遅らせ、本来は整然と行われるはずであったラングーン放棄を混沌としたものにしてしまいました。ラングーン放棄の混乱は田中参謀長だけの責任ではありませんが、非現実的な思考で木村方面軍司令官を補佐することをせず、いたずらに混乱させたことには非常に大きな責任があると思います。ちなみに参考文献はルイス・アレン氏の「シッタン河脱出作戦」です。
めっちゃ待ってました!
ビルマ戦線を初めて知ったのは、小学校低学年の頃(昭和53=1978)に図書室にあった「ビルマ大ジャングル戦」と言う本でした。いま手元には、小学生当時に読んで30年ほど前にまた読みたくなって地元の古書店で手に入れたあかね書房版(昭和45年)と10年ほど前に神保町の古本市で手に入れた鱒書房版(昭和31年)の2冊があります。両方とも著者は秋永芳郎氏ですが、鱒書房版は服部卓四郎氏の監修が入っています。
56師団強すぎィ!
貴重なビルマ戦線の動画拝見致しました。ありがとうございます。
チャンネル登録させて頂きました。
「日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある」 A・トインビー
なお、開戦はガバガバではじめた模様()
他のアジアがあまり頼りにならないと言う点は、なかなか大変だ。
@@lookglacial6325 彼らが戦っていれば(特に清朝)日本が戦う必要はなかった
当然のように忘れ去られる1942年に独立予定だったフィリピンさん…
@@usejehwikuhehejidjcuruehje
あれ日本軍進攻前にアメリカが決定していたフィリピンの独立予定年は1946年のはずでは?
英語表記するとブルマであるが、なぜかビルマである。
ブルマ電撃作戦だと…なんか違う企画ものを想像してしまうよなあ。
ソ連軍の作戦術みたい。33D,55D,56Dが、各正面で連続作戦を実施しつつ、互いの戦線を支援しあってる
小説『ビルマの竪琴』の背景にはこうした苛烈な戦いがあったのですねぇ・・。
ところで、英軍・英印軍とされてますが、英軍と表記した場合は、本国からの正規英国人兵による部隊。
英印軍と表記のあるのはインド植民地兵を基幹とする英国人将校に指揮された部隊。
そう解釈して良いですかね?
後のインパール戦でも敵手は必ずしも英国人ではなく、多くのインド人将兵が居たようで、日本軍と協働した
チャンドラ・ボース率いるインド自由軍のインド兵とで、同胞相討つ形になった様ですが、
日本の戦記にはその辺殆ど書かれてないんですよね。
今後、その辺りも掘り下げて頂けると嬉しいです。
え、新社会人って事はこちらの投稿主さんも(元)学生だった……!?
フーコン方面守備してた18師 ラモウ守備隊の56師は地元の誇り
見入りました。
お疲れ様です。
無理せず動画投稿お願いします。
後の物質補給の事考えると、かなり遠くまで戦争をしに行ってますね。
待ってました
連合軍側の車両化率が高かったものの想定よりずっと日本軍の進撃スピードが早かったために連合軍側の作戦が失敗した
また、包囲作戦を立案して成功に収めていることから地形や街道の情報把握もしっかり行われていたことがわかる
あと、熱帯の病気コワイ😱
日本軍以外にもマラリアによる死者は出ていたんですね
やっぱ、イギリス軍は撤退うまいんかな...負けてはいるけど、致命的には負けてないし…
「British Commanders of World War II」では初期ビルマ戦にて敗退中のイギリス軍を指揮したサー・ハロルド・アレクサンダー将軍について優勢な日本軍に対してラングーンの保持の決定など多くの誤った決断をしたとして批判しているので、ビルマ戦に関して言えば撤退はあまり上手く無かったと思います。
オープニングのBGMタイトルを教えて下さい。
将来の再構成してのアップの時、二部構成にして濃い~いものにしたら楽しいね。
まってた!
ビルマと言えば”インパール”と”泰緬鉄道” 泰緬鉄道の建設に伴う捕虜虐待で
木村兵太郎大将がA級戦犯となり絞首刑に処された。
もし米英を相手とせずイギリス軍だけ戦ったらワンチャン勝てたかも
(インドかオーストラリアのどちらか攻略したらチャーチルは退陣せざるを得ない)
木村大将は、東京裁判にてビルマ方面軍時代の捕虜虐待を批判されていましたが、それ自体は処刑理由ではありません。開戦時に陸軍次官を務めていたことが処刑理由のはずです。
ちなみに、木村大将の泰緬鉄道建設に伴う捕虜虐待は、インパール作戦以来の敗北によりただでさえ人員が減少しているのに対して、南方軍が人員もろくに追加せずに(追加の人員や物資はフィリピン方面に移送された)過大な要求を送ってきており、それを達成するために連合軍捕虜を使役せざるをえなかった側面が大きいので、本来は木村大将より南方軍の責任が大きいです。
菊兵団!?
戦車こそないものの、これぞ電撃戦なのではと思う。航空支援もなかったようですが。
あれ チャーチル見てるかぁ?w が無かった・・・
新社会人。。。。そんなに若いのか。内容より、そっちにびっくりした。
俺が戦史研究をした時にまだ生まれてないじゃないか。
19:30 辺りからの曲は何という名前でしょうか。
雲にそびゆる です
@@ms08p34 有難うございます。
日本軍の冒険
うぽつ
タイ・ラオス・ビルマの3カ国の国境地帯。
こうみると割と日本軍って善戦してるよな。兵器の質はそりゃ連合軍の方が上だけど士気が高いよな。
ミャンマーの山岳部には首狩りなんかをやっていた原住民がいたと思うのですが、日英両軍は彼らと交流があったりするのですかね?
うう、海軍はアメリカ相手でそれどころじゃなかったんですかね。地形を見ると、これ海から砲撃上陸しかないんじゃね?と思わせる感じですよね。
ビルマはインパールをしなかったら中国戦線の様に日本軍優位で終わったのかな?
防御に不利な地形故にラングーン失陥が早いか遅いかの違いだけかも…
元々、南進策はインド洋で決戦してイギリスを戦争から脱落させる戦略だったが海軍が東に突進して頓挫した。
新社会人頑張ってください!
これを見るとインパール作戦の無茶もわからんでもないよなあ。
こういうのを再びやれると思ったのだろう。
もはや状況が全然違ったわけだが。
ミャンマー
大日本帝国万歳
ピンマナ=ネピドー
ラングーン=ヤンゴン
現代人には、わかりにくい
4:57
日本陸軍はこの時は間違いなく「精強無比」だった。コレは間違いない。
しかし疑問がある。鹵獲した自動車はザっと1000両を超えるけど、
この当時の陸軍歩兵は8万人の中で1000人も自動車運転できる者が居たんだろうか?
まぁ現地教習したんじゃない‥
いたと思うよ。
捕虜から聞き出す事も可能だしね。
この当時の日本では、自動車運転出来るのが「特殊技能者」だったのが分かるコメントです。
水島しか知らない
みんな何でそんな身内の戦果とかに詳しいんだよ
俺は知らんわ
じいちゃんは
物心つく前に旅に出たし
まぁ
聞いた話によれば俺をたいそうみぞがってくれたらしいけど
わからんわそんなものわからんわ
父親はまぁ幼児だったけど
大戦末の空襲の記憶があるって言ってたなぁたしか
兵隊さんの鞄と帽子と
飯盒となんだっけ
それ使ってたって言ってたけど
そんななるんかなぁ
うーん
小学校入学時に使ってたのなら戦後数年だからまぁ
おかしくはないか
戦後10年とか経つんなら
なぜ未だに軍式装備をお下がりにしてるのってなるが
家にはじいちゃんの
銃が持ち帰られて
国に取り上げられたって言ってたっけなぁたしか
刀狩りだよねぇ
じいちゃんの戦記は聞けなかったし
そればあちゃんにも
親にもじいちゃんの出兵先とか聞かんかったし
よくわからんなぁ
たしか泥すすってとか聞いたような気がするから
どっか海外やろ
地方により行き先とか絞れるのかな
出身地域滞在地域により終結場所と出向先は絞れるのかな?
なら
あーでも
知覧の話も聞いたような
でもじいちゃんが
関係してたかはわからんしなぁ
まぁ父ちゃんが生まれたのが
真珠湾くらいの頃かなぁ
まぁ
まぁ
まぁ原爆にやられる地域ではなかったけど
でも母親が戦後生まれで
爆心地辺りで銀行員してたんだっけか
まぁ戦後20年とか経ってるだろうから被爆はないよね?
なら血液の病気になって吐血してたって聞いたけど
被爆は関係ないよねぇ?
もっと親の生い立ちとか
戦争の話をばあちゃんにも親にも聞いときゃよかったなぁ
親も直は覚えてないわからんにしてもじいちゃんの話を聞いたかも知れんし
チャーチルはどんな顔してこの敗報を受けたのかなぁ。17年5月か。ミッドウェーで海軍があそこまでしくじらなければ、やっぱり大東亜戦争は勝てましたな。
ミッドウェーが落ちたところで戦争の行方は変わらんと思うよ
ハワイやパナマ運河からの艦隊に日本軍が勝てると思えん、史実でも戦争中期にはあらゆる技術で差が出てたし
珊瑚海海戦前後から既に雲行きが怪しいので単純に海軍の能力不足ってだけじゃないですかね。
ミッドウェイよりソロモンで海空の戦力すり減らしたのが痛い。
総力戦研究所さん『ぐはぁ(白目)』
史実より長く抵抗出来ただろうけど、結局負けちゃうよ。工業力が違いすぎる。
大日本帝国万歳